わくわく授業 池田修先生の国語

今日はディベートの授業。とても面白かった。

授業が始まると同時に、いきなり始まる突然の聞き取りテスト。「東京都がゴミを有料化する根拠」を説明するスピーチを池田先生が読み上げます。聞き終わったら生徒は内容を答えなければなりません。スピーチの間、メモをとる生徒やひたすら書く生徒もします。しかし、大半は覚えようとしているのか、鉛筆は止まったままです。「では、何が書いてあったか言える人!」メモを取らなかった生徒は一人も手を上げることができませんでした。人の話をしっかり聞くことは簡単ではない。生徒が実感した瞬間です。  「これからやるディベートで、聞く力と話す力を鍛えるぞ。」池田先生のディベートの授業が始まります。ディベートとは何か?池田先生は「ジャッジ(審判)を説得するゲーム。」と説明し、 生徒たちを肯定、否定、ジャッジの3人一組にしました。さらに、ディベートで使われる「立論」「質疑」「反駁(はんばく)」などのセリフを書いた台本を配ります。今回のディベートは、話し手にとっては、「何を話すか」ではなく「相手に分かりやすく伝える」、また聞き手にとっては「相手の話を聞き取り、それをできる限り書き取って、判断を下す根拠にする」、というトレーニングだからです。  最初は、相手のことなど考えず早口でシナリオを棒読みしていた話し手の生徒たちも、授業が進むにつれ、それではダメだ、ということに気づき始めます。聞き手も、聞き取って書き取る量が増えていきます。単にメモするだけでなく情報を整理しながら「聞いて、書く」生徒もでてきました。  コミュニケーションする力を伸ばすための国語のディベート。世の中に出て役に立つ力をつけてあげたいと願う池田先生の授業に迫ります。


先生は最後に、「聞く力がつけば、相手の言いたいことを自分から引き出すこともできるようになる」と言っていたが、まさに、こういう態度こそコミュニケーションに必要なことだろう。言葉尻をとるのではなく、結局何がいいたいのかを類推する力が、本当の聞く力なのだと思う。

聞く力の優れた相手との会話は、とても楽しい。しかし、こういう社会的なスキルは、我々の時代の学校にはなかったので、聞く力が欠如して、自分の考えばかりを直球で投げ込んでくる人が多いのも事実だ。議論とは、違う意見を聞く場であって、自分の意見を押し通す場ではない。

こういう授業は、正規のカリキュラムへ入れるべきだと強く思う。