ASIN:410112325X

慶長遣欧使節として知られる支倉常長とルイス・ソテロとをベースにした歴史小説

本作のテーマは、キリスト教信仰の多様性、だと思う。べラスコ(ソテロ)のように野心的な宣教師もいれば、迫害されながらも信心を持ちつづける日本の貧しい百姓もいる。その中で、旅の途中に立ち寄ったノベスパニア(メキシコ)で、長谷倉(支倉)は、一人の日本人に会う。彼は、原住民のインディオたちと住んでおり、キリスト教の信徒ではあるが、教会とは縁を切っていた。教会と決別しながらも信徒でありつづける、ということが理解できない長谷倉たちに、彼は、「イエスは、豪華な教会にはいない。貧しい我々と共にいる。」という。この後、長谷倉は、お役目のため仕方なしにキリスト教に帰依することになるが、彼との出会いは、帰国してから大きな意味を持つことになる。

解説に、支倉常長とソテロの死について述べたあとで、

これら二人の男の死は、彼等の生と同様、キリスト教の本質は官僚主義的な布告などによって決定されるのではなく、あらゆる信仰者それぞれの個人的な切なる思いによって決められるのだという、著者の根本的な命題を肯定している。(p.419)

とあるのが印象に残った。ひらたく言えば、おえらい人が何を言おうと結局は自分次第、ということ。これは、「沈黙」のロドリゴが踏絵の際に見たキリストと同じで、こういうような、現場主義といおうか、実践主義といおうか、知識だけの理解への反発(というのは飛躍し過ぎかも)というのに、とても共感を覚える。あー、自分がヘタレだから、小賢しいヤツってのが嫌いなんだろうな。