わくわく授業 〜シリーズ授業の達人(1) 大村はま先生〜

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大村先生は、1928年(昭和3年)に初めて教壇に立って以来、74歳で退官するまで52年間、子どもたちに国語を教え続けました。大村さんが目指したのは、子どもたちが自力で生きるために必要な、読み・書き・聞き・話す力を育てること。自分の意見を持ち、相手に伝えることができるコミュニケーション能力が、社会で生き抜く基本的な力になると考えたのです。

今回はいつもと違い、過去の授業がテーマ。

中学生の国語の授業で、台詞のない漫画を渡して生徒に自分で台詞を考えさせる、というもの。生徒が自分で自発的にいろいろな言葉を考えてくれることがねらい。生徒ひとりひとりが考えた漫画を本にして、生徒全員に配っていた。

大村はま先生は、国語の授業をするとき、常に新しい題材を扱ってきたとのこと。ときには、生徒ひとりひとりに違う教材(各都道府県の風土記)を与えて、その内容について発表してもらう、ということもしていた。

なぜ、毎回違う教材を?とたずねられると、「同じ教材を使うと、前の生徒と比べてしまうのが嫌だった。他の子と比べるのは、教師としてはしてはいけないことだから。」と答えていた。「それでも比較してしまうんですけどねぇ、困ったことに」とも言っていたけども。

印象的だったのは、「学習のてびき」。

大村さんは、生徒を指導することを「手引きする」と言います。教えるということは、生徒の手を引き導くことだと考えているのです。授業行う前には、必ず「学習のてびき」と呼ばれるプリントを作り、一人一人にわたしていました。プリントには、何をどう学べば良いかが、細かく書かれています。「よく読みなさい」と言うだけでは、教えたことになりません。何に注目すればよく読んだことになるのか、手本となる道筋をしめすことが重要なのです。

細かく指導しすぎて個性を殺すことになりはしないか、という意見に対しては、「生徒の個性はこんなことでなくなるほど弱くありません。」とはっきり答えていた。

生徒が自発的に学習ができるように「学習のてびき」を用意して、一人一人が自分で学習対象に向き合える手助けをするのは、とても良い方法だと思う。言うなれば、通常の授業は、教材の「内容」を生徒に伝えているのに対して、どうやったらその「内容」に到達できるのかを教え、「内容」を生徒につかませるような授業ということになるのだろうか。

大村先生の理想は、生徒一人一人が、人と比べられることなく学習できて、勉強を楽しむことができること、だそうだ。社会人になってからの習い事がこれに近いのかもしれない。つまり、個人個人で、現在の到達点には大きなばらつきがあるけれども、別に他人と比べてやっているわけではなく、教わる対象に集中して自分が成長するのを楽しんでいる形。

競争のエネルギーではなく、学習内容への興味をエネルギーとして、他人と比べられることなく生徒が自発的に勉強する学校。ゆとり教育って、本当はこういうことがしたかったんだろうねぇ。