鉄の首枷

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既に絶版の本なので、図書館で借りて読んだ。内容は、小西行長の生涯を遠藤周作が史料と想像をもって語ったもので、小説ではない。そういう点では、イエスの生涯と非常に似ている。

ざっとあらすじを言えば、行長は、堺の商人の子として生まれ、信長の台頭にともない、父親がいずれの陣営につくべきかを判断するために、宇喜多家に仕えることになる。その後、秀吉の配下となり、商人との交渉能力を買われ、主に後方支援の役を務める。

秀吉の天下が明らかになるにつれ、今後は武官よりも文官の出番だと確信した行長は、石田三成などと親しくなり、朝鮮、明との貿易を一手に仕切ろうという野望を抱く。が、秀吉が朝鮮出兵を決断したために、行長は先鋒隊として朝鮮半島へ上陸して戦うものの、常に講和の機会をうかがうが、朝鮮国王は京城平壌を次々と棄てて逃亡。秀吉が死ぬことを期待して、偽の講和条件によって明からの使節を受け入れるも、秀吉が死ななかったために交渉は決裂。行長にとっては、戦場で武功をたてて知行を得るよりも、朝鮮、明との貿易を手がけることこそ目的だったが、和平交渉の決裂によって全ては露と消える。

その後、再び朝鮮へ赴くも、全く戦闘らしい戦闘はせず、行長は朝鮮側に日本の軍事計画を密告までして、早期の戦争終結をはかり、結局は撤兵。日本へ戻った後は、三成の求めに応じて関ヶ原の戦いに参加して敗北。逃亡するも自ら出頭して処刑された。

小西行長の予備知識というと、昔読んだまんが日本の歴史(小学館)で、顔が四角い人。加藤清正と仲が悪い。程度しかなかったため、知らないことが多く結構楽しめた。

行長の面白さは、武将でありながら、知行地が目的ではなかった点だろう。彼は、乱世の後にやってくる治世において、商業を取り仕切ることが目的だった。乱世と治世との狭間だからこその人物だと言える。この、文官と武官との確執、という切り口を、遠藤周作は「土の人間と水の人間」と語ったのは、しっくりくるものがある。

また、行長の中では、自分の野心と信仰との確執があり、これを彼と同じくキリスト教徒だった高山右近との対比で語っている。右近は、秀吉の禁教令に際して、領地を棄てて信仰を選んだが、行長は、貿易への野心のため秀吉に従った。これは、遠藤周作の作品で頻出する「強い人と弱い人」という構図になっていて、かつ、今回においても「弱い人」側にスポットが当たっているのは興味深い。

ただ、イエスの生涯でも同じことを感じたのだけど、さらっと読んでいると、一般に「事実」とされていることと、遠藤の「推測」とが自分のなかでごっちゃになってしまうので、ノンフィクションを読む気持ちで読んでしまうとちょっと気持ち悪い。気楽に、エッセイのつもりで読むのがよいと思う。