宮本茂 GDC講演(1999年)

2004年のGDC(GameDevelopersConference)で買った、過去の講演を収録したDVDの、宮本茂GDC講演を見る。ゲームのウリとして技術を出すのは、内容に自身が持てないとき、というのは納得。結局、ユーザにとって嬉しくなければ何の意味もない。かのアラン・ケイも、ファンタジーの源を見失ってはいけない、画像に必要以上にリソースをつぎ込むと失敗する、と言っていたのを思い出した。

以下、メモ

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アーケード時代は、時間を売っていたが、NESになって楽しみを売るようになった。

だんだん、ゲームデザインをしながら、いつも技術を頭にいれてゲームをつくるようになった。私は黎明期からゲーム開発をしているので、技術者ではないけど、ゆっくりと、ゲームの原理を勉強できたのがよかった。

ゲームデザイナー、プロデューサーが、技術をある程度分かっていないと、スケジューリングに失敗して、完成しないゲームができてきてしまう。新しい技術、豪華な映像がゲームのコアの場合、ゲームが完成するまで、デザイナーが本当に面白いかどうかが分からない。それぞれの技術の完成度によって、面白さが決まってしまうから、面白くなるまでのスケジューリングができない。

自分のアイディアを、ハードの制約のもとで、どうやってプレーヤに表現するかがゲームデザイナーの仕事。

ユーザの要望を、いかに速く実現するかが、ゲーム制作の終盤では大事。どこを変えると、デザイナーの思ったような動きになるのかを把握することが大切。任天堂では、アートデザイナーも、基本的な技術的研修をうける。

「ランダムにサーチ」、というだけではダメで、「30フレームに一回、ユーザの方向にショットする。3回に一回は、ランダムに方向を変える。」というところまで言わなければだめ。そうすれば、終盤の手直しが素早くできる。

世界は、手作業でつくる。変に思わせちゃいけない。車が止まっているのに、車輪が回っていてはいけない。CPUパワーの概算に、昔の音を使うことがあった。エキサイトバイクの音で、スーパーマリオをプレーしたこともある。

ゲームの工数のうち、1/4ぐらいが、特定のゲーム専用の作業。残りは、共通なことが多い。RPGでは、名前登録とか、ウィンドウとかは、昔からある。そういうところは、「労働」といっている。こういう部分はないほうがいい。こういう「労働」をたくさん含んだ仕様書をもってくると、まず、ゲームは完成しない。時間オーバーになってしまう。

技術がゲームのメインになってて、デザイナーの個性が出にくくなってるのが、悲しい。ほんとうは、音楽に近い。

ゲームのリズム、テンポ、サウンドなど、生理的に心地よいものが、成功していると思う。

技術的な自慢というのは、ゲームのセールスポイントが少ないときにやってしまう。技術は、新しいアイディアを陰で支えるものなんだ、というのを知っておくべき。

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ゼルダの伝説 時のオカリナ の開発

5つのグループ

  • シナリオと企画
  • リンクの動き、アイテムの3D化
  • カメラの動き、バーチャルボックス、固定カメラなど
  • リンクが持つもの、ぶつかるものなど、オブジェクトの設定
  • モーションキャプチャとコンバータ

他にも、随時チームを立ち上げた。

  • 3Dサウンドを含めたオカリナの音
  • 効果エフェクト
  • 背景の時間の流れ
  • ゼルダの世界に適した背景のCullingの研究

フィールドとキャラクタとは、RAMを共有している。だから、鳥が去ると、マラソンマンが来る。リンクが馬に乗ると、キャラが消える。リソース配分をした結果だ。

ただ、実験をいっぱいするけど、全部使うわけじゃない。

ユーザを楽しませるいくつかの方法がある。ひとつは、映像を使った、映画的な手法がある。だけど、プリレンダーのムービーへ向けるリソースよりも、インタラクティブなものにリソースをとりたかったから、ゼルダでは、プリレンダーを使っていない。

ゼルダが面白かった本当の理由は、64での新機能のおかげではないと思う。表現力やレスポンスが上がるのは、新しいハードで期待できるけど、それ以上の期待はできない。

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世の中に、もっと大きなインパクトを与えましょう。マリオ64は、たまごっちに負けたと思う。

ゲームデザイナーは、技術的な知識を持って、自分の個性で、リズムをもって、世の中を楽しくする人です。